大人こそ知っておきたい中学公民学び直し

大人が中学公民を学びなおすためのサイトです。ニュースに出てくるような政治経済の難しい言葉のほとんどは中学公民を勉強すれば理解できます。大学で政治学や経済学などの社会科学系をやっていない人にも理解しやすいように作っておりますので、ゆっくりと自分のペースで読み進めてください!

(1.3.1)社会における私たちと決まりの意義

新しい単元「3.現代社会をとらえる見方や考え方」に入ります!

一つ目のテーマは「社会における私たちときまりの意義」です。

ルールやきまりは何のために存在するのか、なぜ守らないといけないのか、といった根本的なことを考えていきます。

 

 

 

 

「《社会的存在としての人間》

私たち、はこの世にかけがえのない生を受け、それぞれの個性や能力を発揮して、生きがいのある人生を送りたいと願っています。そして私たちは、様々な人と出会い支えられ、また支える中で、こうした人生を作り上げていきます。

  人間は誰も一人で生きて行くことはできません。家族や地域社会、そして国家の一員であるとともに、学校や職場などに属し、その生活の場を広げていきます。このように、人間は社会集団と関係を持ちながら生きています。こうしたことから人間は、社会的存在と言われています。

 

《家族と社会》

  人間が最初に所属する社会集団である家族は、本来慈しみと思いやりに満ちた最小の社会集団です。安らぎの場であり、また互いに個人として尊重して協力しあっていくことを学びます。このように家族は個人や社会を結びつける重要な役割を果たしています。核家族が増え高齢社会を迎えた今日では、地域の人々が互いに助け合うことが生活を豊かなものにしていきます。

 日本国憲法は、家族集団の根本として、個人の尊厳と両性の本質的平等を定めています。家族生活お互いに協力して維持していくことは、男女が共に社会のあらゆる分野に参画していく社会(男女共同参画社会)の基礎になります。

 

《社会生活ときまり》

ひとりひとり個性も考え方も違う個人が集まって様々な社会集団を作っています。その中で、もしも私たちが自分の事しか考えず、違いをただ主張し合うだけになると、争いが絶えないことになり、社会生活は難しくなります。私たちが互いの個性や考え方を尊重し合って生活するためには、個人個人の意見や利害の違いを調整し、共に生きていくためのきまり(ルール)が必要です。

 社会集団の性質や規模に応じて決まりの内容は異なりますが、いずれの場合も一人一人が誇りをもって生きる等しくかけがえのない存在であることを中心に置くものでなければなりません。日本国憲法政治のあり方の根本として、個人の尊重を強調し、その趣旨を明らかにしています。」

 

 

 

 

 

早速解説を進めていきます。

本文にもあるように、人間は一人で生きていくことはできません。

家族や学校や職場の人達とうまくやっていかなければ、満足な生活を送ることはできません。

 

学生の方であれば学校の友達や先生と人間関係を築くことがいかに大切かは身にしみてわかっているでしょうし、家族と仲が悪かったりすると肝心な時にサポートを受けられない場合もあります。

 

自分が助けてほしいから人を助けてあげるというのもなんだかおかしな話だとは思いますが、実際問題として私たちは、ある時は助け、ある時は助けられ、そうやって日々を過ごしています。

 

もっと大きな話としては、現代社会は高度にネットワーク化された社会だということです。

ビジネスから日常生活まで、人生のあらゆる局面において誰かが誰かに依存しながら生きています。

 

 

例えば現代の日本であれば、蛇口をひねれば水が出てきますが、もし仮に水道を整備する人や管理する人がいなかったらどうなるでしょうか。

同様に電気やガスもそれを管理している人達がいるはずで、私たちはその人の顔も名前も知りませんが、大変な恩恵に預かっていると言えます。

 

スーパーに買い物に行ったとしても、そこの店員さんがいなかったらどうなるのか、そこへ商品を運ぶ運送屋さんがいなかったらどうなるのか、お肉や魚や野菜を作っている農家さんがいなくなったらどうなるのか、考えただけでも恐ろしいですね。

 

現代は個人化が進んだ時代だとは言われますが、視野を広げてみればたくさんの人のたくさんの仕事によって今の生活は維持されていると言えます。

 

もちろん水道屋さんにしても電気屋さんにしてもスーパーの店員さんにしても、仕事としてお給料をもらってやってるんだから頑張っていて当然だと言えるかもしれませんが、それは誰にとっても同じ話で、社会全体が複雑に関連して連帯しながら今の日本の「普通の生活」は維持されているのです。

 

 

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』においても、主人公のコペル君はオーストラリアの牛の乳が我が家の粉ミルクになるまでにどれだけの人間が関わっているのかを想像した末に「人間分子の関係、網目の法則」に気がつきます。

 

Mr.childrenの「彩り」という歌にも、

「僕のした単純作業が

この世界を回り回って

まだ出会ったこともない人の

笑い声を作っていく」

 

 

という歌詞があります。

私たちはどこの誰とも知らない人の仕事に支えられ、またどこの誰とも知らない人を支えているのです。

 

そういう意味では、私たちは社会と密接につながっていて、「社会的存在」というのはまさにその通りです。

 

 

 

 

 

少し話が変わりますが、個人個人の意見や利害を調整して生きていくためのルールが必要だという話も本文にありました。

 

例えばミクロな例で言えば、家族ルールや職場の決まりなどがそれにあたります。

家族で決めた「門限は7時」といったルールは、法的な拘束力を持つものではありませんが、その家の中ではとても重要だったりすることもあります。

職場のルールなどもそうで、 その職場の外に出れば役に立たないものなのですが、その職場での秩序を保つためには必要だったりします。

 

※意味不明なルールも多いですね。過去の慣習をそのままなぞっているだけで、現在の生産性は全く考慮されていない場合もあります。この問題については別の機会に詳述します。

 

 

もっとマクロな例で言えば、憲法や法律、国際条約といったものは個人の自由を制限する拘束力があります。

 

憲法は主に政府などの国家権力のあり方について定めています。

法律は日本全土に影響力を与えるもので、わかりやすい例で言えば、刑法に違反すれば逮捕され懲役刑や罰金刑を受けることになります。

契約関係などで揉め事があったときは、主に民法の理論を中心に争いを解決していきます。

 

国際条約などもある種行動を縛るものではあり、例えば、 化学兵器禁止条約では、化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めています。

現在192ヶ国が批准していて、日本も1995年に批准しています。

 

自由権の観点で言えば、化学兵器を作る自由も作らない自由もあるのですが、化学兵器を作って使用することによって発生する損害があまりに大きく、それが化学兵器の脅威にさらされることなく生きていたい人の自由を妨げることになるので、化学兵器の製造や使用を制限するためのきまりが必要になったわけです。

 

誰かの自由を認めることによって誰かの自由を制限することにもなり、 その価値観の違いや利害関係の調節をするためには、合理的なルールをあらかじめ作っておく必要があります。

 

合理的なルールの話はまた後からどんどんしていくので、楽しみながらガシガシ勉強していきましょう!

 

noteでは、よりマニアックなテーマで書いています。お時間あれば是非お願いします。

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