大人こそ知っておきたい中学公民学び直し

大人が中学公民を学びなおすためのサイトです。ニュースに出てくるような政治経済の難しい言葉のほとんどは中学公民を勉強すれば理解できます。大学で政治学や経済学などの社会科学系をやっていない人にも理解しやすいように作っておりますので、ゆっくりと自分のペースで読み進めてください!

(2.1.2.3)等しく生きる権利

今回のテーマは「平等権」です。

平等とはどういうことか、平等を実現しなければならない分野にはどんなものがあるか、といったことを考えつつ読み進めてください。

バリアフリーユニバーサルデザインといった言葉の意味や理念についても頭に入れておきましょう。

 

 

 

「《平等権とは》

人は誰でも個人として尊重され、平等な扱いを受ける権利があります。日本国憲法は、すべて国民が法のもとに平等であることを確認して、さらに人種・信条・性別・社会的身分などを理由にして差別されないと定めています。これは、身分上の差別や性別による差別など、歴史上繰り返されてきた不当な差別を例に挙げ、こうした差別がないように平等を保障しているのです。

 人の生まれや、人が生まれつき持っている性別や肌の色、身体の障害などの理由で差別を受け、不利益を被ることは個人の尊重の考え方から許されないことです。

 

男女共同参画社会を目指して》

我が国は1985年に女子差別撤廃条約を批准し、男女雇用機会均等法の制定など女性差別をなくす取り組みをしてきました。また1999年には、男女共同参画社会基本法を制定しました。これは男女が共に家庭生活を含めたあらゆる分野で責任を担い、協力する社会を作ろうとするものです。

 我が国には、男性は外で働き、女性は家庭を守るという、男女の固定的な役割分担意識が根強く残っています。そのため男性は働きすぎと言われ、女性は社会で能力を生かそうとしても、家事や育児や介護などの家庭生活の負担が大きく、それが社会参加を妨げています。管理職や専門職につく女性の割合や女性議員の数など、国や地方公共団体の政策決定に関わる女性の割合は世界的に見ても著しく低い水準に留まり、改善が求められています。

 

《障害のある人と共に生きる社会》

人は身体的障害の有無によらず社会の一員であり社会のあらゆる分野に参加し、受け入れられることが必要です。国際連合は、2006年に障害者の権利条約を採択し、地球規模でこの問題に取り組むことにしました。我が国も、障害のある人の自立と共生の社会を実現するために、国や地方公共団体が中心になって様々な施策を行っています。日々の生活支援のほか、交通機関や公共施設のバリアフリーや、ユニバーサルデザインの開発を推進しています。

 

《日本に住んでいる外国人》

日本で暮らす外国人は現在200万人を超え、その多くがアジアや南アメリカからの国々の人々です。共に暮らすことで私たちは多様な国の文化に触れることができますが、これらの人々が世界で差別を受けないようにする必要があります。国籍や信条などが違っても互いに理解しあって生きる社会を作り上げていかなければなりません。

 

 

早速解説を始めていきます。

今回は平等についてのお話です。

 

人間が個人として尊重され平等な扱いを受ける権利についても憲法で定められています。

 

 

憲法

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

 

 

 

信じている宗教・性別・社会的な身分などによって差別をすることは許されないということが決められています。

 

また夫婦関係においても男女は平等であり夫婦で同等の権利を有することが基本とされています。

24条では個人の尊厳や両性の本質的平等という言葉も用いられています。

語句のテストとかでもよく出てくる言葉ですね。

 

 

男女共同参画社会の話も出てきました。

男女共同参画社会とは、 男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することです。

 

 

このように文字で定義するといかにも難しそうに聞こえますが要するに今まで性別を理由に不当に配慮が行われていた分野への参加を進めていくために性別による差別をなくして様々な制度が整備された社会を作っていこうということです。

 

 

確かに女性であるという理由だけで優秀な人が専門職につけなかったりすることは避けなければなりません。

女性であるという理由だけで管理職になれないこともおかしいです。

 

ただし、一概に女性の権利を手厚く保障していけばいいというものでもありません。

 

ここから先は個人的見解なのですが、性別による役割分担意識そのものが悪いというわけではないと思います。

 

 

男性でも女性でも同じようにできる仕事もありますが、同じようにはできない仕事もあります。

 

男性が育児参加することはとても大切なことだと思いますが、男性メインで育児をすることは相当難しいです。

男性は母乳が出ないですから、 こればかりは本当に努力の問題とかじゃなくて、本質的に向いていない仕事なんだと思います。

 

逆にすごく力のいる仕事だったり、生理で体調が悪いということが許されない仕事とかの場合は、男性の方が向いています。

 

結局何が言いたいのかというと、ルール的にできる・できないがあることは望ましくないですが、適性的に向いている・向いていないがあることは仕方ないんじゃないかということです。

 

そして、自分に向いている仕事をやっていけばいいんじゃないかということが言いたいわけです。

 

 

ところで、ノルウェーなどではクオータ制というものがあります。

クオータ(quota)とは、「割り当て、分配、分け前」の意味で、もともとは政治における男女間格差を是正するための暫定的な方策でありました。

クオータ制とは、議員・閣僚などの一定枠を両ジェンダーに割り当てる制度を指します。

 

つまり、女性議員が最低何人以上になるようにするということをあらかじめ決めておくのです。

 

現在では、一般企業に対してもこれを法制化し、取締役会など経営中枢への女性進出に大きな効果を上げています。

 

 

正直これは変なシステムだなと個人的には思っていて、それこそ性別という枠組みでしか人を評価できていないのではないかという気がします。

 

極端な話、すごく優秀な男性がたくさんいるのなら男性ばかりの議会でもいいと思いますし、すごく優秀な女性がたくさんいるのなら女性ばかりの議会になってもいいと思っています。

もちろん選挙で合法的に勝ったのであればの話ですが。

 

もちろん多様性の確保やアファーマティブアクションという根拠づけができるのも分かりますが、そこにこだわり過ぎではないかと考えています。

 

 

 

 

障がい者の話も出てきました。

 

障がいがあるから差別するということは許されません。

国民全体の生存権自由権を保障していかなくてはならず、そこには当然障がい者も含まれます。

 

バリアフリーユニバーサルデザインといった言葉も覚えておきましょう。

 

バリアフリーとは、原義は「障害・障壁のない」という意味で、日常生活や社会生活における物理的、心理的な障害や、情報に関わる障壁などを取り除いていくことをいいます。

 

心身の障害などでハンディキャップのある人にとって、障壁(バリア)となる物理的(建物構造・交通機関など)、制度的(障害を欠格条項とし、資格取得に制限があるなど)、文化・情報面(点字・手話・音声案内・字幕・分かりやすい表示の不備)、意識(偏見や先入観)が取り除かれた状態をバリアフリーといいます。

 

例えば、段差のない住宅・道路の敷設や、点字ブロック、補聴器などの普及、シンプルな機能で使いやすい家電などが挙げられます。

 

 

ユニバーサルデザインとは、障害のある人の便利さや使いやすさという視点ではなく、障害の有無、年齢、性別、国籍、人種等にかかわらずさまざまな人々にとって使いやすいようにはじめから意図してつくられた製品・情報・環境のデザインのこと。

 

ユニバーサル(universal)とは「普遍的」ということなので、時代や場所に関わりなく、ということです。

 

バリアフリーユニバーサルデザインの中に含まれる概念であるとも言えます。

 

スロープを設置するといった物理的整備が注目されがちですが、それだけでなく社会的認識や価値観(人々の気持ちの問題)のバリアフリー化もノーマライゼーションの達成に不可欠です。

 

 

 

ところで、少し前に障がい者雇用の水増しについてニュースになっていました。

中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題で、厚生労働省は28日、各省庁を再点検した結果、計3460人分が国のガイドラインに反して不正に算入されていたと発表しました。

障害者数の約半分が水増しだったことになります。

雇用の旗振り役である中央省庁自らが数値を偽っていたことになり、制度の信頼が大きく揺らいでいます。

 

障害者の雇用の促進等に関する法律」というものがあって、そこでは企業や公的機関に一定割合の障害者を雇うよう義務づけています。

 

それなのに、よりによって中央省庁でその不正をしていたから問題となったのです。

 

ニュースとしては、省庁が法律に違反している、ということが論点なのですが、別の視点からみるとまた更に根深い問題が見えてきます。

 

 

 

障害者の雇用の促進等に関する法律(障害者雇用促進法)」という法律自体の正当性です。

確かに障がい者の雇用を確保することは必要で、そのための手段としてこういった法律が存在することは雇用確保に有効なのですが、

同時に企業の側には経済活動の自由があって、法律があることによってその企業の雇うか雇わないかを決める自由を制限していまうのです。

 

政府機関はまだしも、民間企業は本来利潤を追求する存在なので、基本的には雇いたい人は雇ったらいいし、雇いたくない人は雇わなかったらいいのです。

誰を雇って誰を雇わないかという話は、本来であれば法律で決めることではありません。

 

もちろん市場原理に任せておくと障害のある人は一向に活躍できないので、こういった政策的立法は必要です。

しかし、企業側の自由も併せて考えると、もとより不正や混乱を引き起こしやすい法律だったともいえるのです。

 

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