大人こそ知っておきたい中学公民学び直し

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(2.1.2.9)公共の福祉と国民の義務

今回のテーマは公共の福祉です。
自分の自由が誰かを傷つける可能性があることを学びましょう。


めちゃめちゃ極端な話、「人を殴ることに快感を覚えるのでこれを趣味にしたいです」ということは許されません。
自分にも自由権がありますが、相手にも安心して暮らす権利があるからです。
そのような権利と権利のぶつかり、そしてそれを仲裁する方法について考えてみましょう。

 


「《人権と公共の福祉》
自由とは,何をしてもよい, 勝手気ままに行動してよい, ということでは決してありません。人権についても同じです。
ある権利が憲法によって保障されているからといって,自分の権利だけを主張して保障せよ、とはいえません。
例えば、表現の自由が保障されているからといって,他人のプライバシーや名誉を侵害することは許されないし,信教の自由があるからといって,他人の身体を傷つける宗教行為を行うことは許されません。
また, 職業選択の自由があるからといって, 自由に病院や美容院を開業できるわけではありません。医師や美容師になるには 特別な資格が必要です。このように, 個人の人権の主張には,同時にほかの人々の人権を守るという責任がともないます。

また公共施設のための所有地の収用, 農地など土地の利用の制限、建築物の種類や高さの制限など,政策的な観点から自由が制約されることもあります。日本国憲法は、自由および権利は、「濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」(第12条)とし,この限界を公共の福祉という言葉であらわしています(第12・13条)。
しかし、たいせつな人権が「公共の福祉」の名をかりて,簡単に制限されないように注意する必要があります。どのような人権が、何のために,どの程度制限されるか,それぞれの場合によって検討することがたいせつです。裁判所は,そ れが正当な制限であるかを判断する重要な役割を負っています。

《国民の義務》
日本国憲法は、国家の一員として果たすべき国民の義務を明らかにしています。 それは、子どもに普通教育を受けさせる義務(第26条), 勤労の義務 (第27条), 納税の義務(第30条)です。
そのほか, 国会議員や裁判官やその他の公務員には,特に, 憲法を尊重し擁護する義務が課せられています(第99条)。憲法は,国民の人権を守るために,政治権力を制限するしくみを定めたきまりです。ですから,実際に政治権力を行使する立場にいる公務員に対しては、だれよりも,この憲法を尊重し擁護すべきであるという考えを明らかにしたのです。

 


早速解説を始めていきます。
今回は公共の福祉と国民の義務についてです。

 

本文にもあるように、自由権があるからといって何をしても良いというわけではありません。
自分の自由のせいで誰かを傷つけてしまうかもしれないからです。

 


信教の自由があるからと言って宗教を隠れ蓑に暴力行為を働くことなどは許されません。
自由権のところでもお話ししましたが、お医者さんになりたい人が誰でもお医者さんになれるわけではありません。


大学の医学部を出て国家試験に合格しないとお医者さんにはなれません。
これは、患者さんの側からはこのお医者さんがちゃんとした知識を持った人なのかインチキをしている人なのかを見分けることが難しく、インチキなお医者さんにあたってしまうと健康や生命にとって重大な危険性が及ぶからです。

 

このように世の中一般の利益を尊重して個人の自由を制限することを公共の福祉による制限と言います。

 

 

 


また、ちょっと公共の福祉とは異なる例ですが、京都市の条例では建物の高さ制限や色の制限があります。
これは観光地の景観維持のためのものですが、考えてみれば建物の大きさやデザインなんかは本来であれば建物を建てる人の自由であります。

 

ですが景観維持という目的がはっきりしていることや、住民主導でこのような条例が作られたことなどから、実際の必要性や政策的な観点として建物を建てる人の自由を制約することが容認されています。


今となってはむしろ京都に高層ビルを建てようとする方がよほどその建築者にとってデメリットになると思います。

 

国民の権利が及ぶ範囲について、一応憲法の条文も見ておきましょう。

 

 

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

 

十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。〔個人の尊重と公共の福祉〕

 

 


このように「自由及び権利は濫用してはならないのであつて常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」をしているので、個人の都合で際限なく自由が認められるということはありません。

 

 

 

 


しかし逆に、公共の福祉を理由に人権が制限されることもまた許されないことです。

 

例えば感染症の予防といったような公共目的があったとしても、感染症患者を必要以上に隔離したり、一般の生活をできないようにしたりすることもまた問題です。


公共の福祉をあまり過度に認めすぎると、結局は偉い人の思うとおりに国全体が動くようになってしまい、個々人の個性や多様性が保証されないことになります。
個人の自由と社会全体の利益のバランスをとることが大切なのです。

 

 

 

 


国民の義務についてもお話ししておきましょう。

国民の義務については憲法26条・27条・30条に書かれています。

 

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕

 

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕

 

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。〔納税の義務

 

 

 

第26条の義務教育に関しては再三言われていることではありますが、子供にとっては受ける権利で親にとっては受けさせる義務となっています。

 

権利として捉える場合は、教育を受ける自由もあれば教育を受けない理由もあるのですが、義務となるとその決まりを守る必要性が出てきます。

 

保護者に求められているのは、小さい子供を無理やり働かせたりするのではなく学校に行かせるように生活面のサポートをすることです。


今となってはそんなことは滅多に見ることはありませんが、昔であれば子供がそこそこ大きくなったら立派な労働力として期待されるので、学校に行かせるよりも家のお商売や農作業を手伝わせる方が良いという時代もあったわけですよね。

 

今では憲法でこのように定められているので、小学校中学校の間は子供が学校に行けるような状態を作っておくことが必要です。


また勤労の義務や納税の義務などもあります。

政府が税金を集めることの正当性や税金の使い道、またなぜ私たち国民は税金を払わなければいけないのかということに関しては経済の章で詳しくお話ししようと思います。